ハワイ王国における可視的教会と不可視的教会の衝突―二つの教会論とその文化的含意―
1860年代のハワイ王国では、ステイリー主教を筆頭とする英国宣教団と、アメリカン・ボード系の宣教師がさまざまな問題をめぐって衝突した。両者の論争の根底には教会論の違いがあった。前者が初期教会にまでさかのぼる歴史を持つ可視的教会をハワイに植え付けようとしたのに対して、後者は歴史的な諸教派の伝統から自由な不可視的教会を広めようとした。本稿では1862年半ばから1865年初めにかけての両者の間で繰り広げられた論争の展開を一次資料に沿いつつ追い、二つの教会論とその文化的含意に焦点を当てる。
中・四国アメリカ研究
第6号