Bleak House の主人公であり語り手でもある EstherSummerson については、近年すぐれた精神分析的研究が成されている。中でも彼女がなぜ、当時は恋人であり、今では夫となった Allan Woodcourtのことを語る時に、今なおためらうのかという問題に初めて疑問を投げかけたのは B.Gottfried である。 それ以前の批評家は皆、その語りのためらいを過去のエスタの心理と混同していた。筆者はそのような語りの矛盾を解き明かすために「騙り」手としてのエスタを想定する。多くの「騙り」手の要素を持った主人公としてのエスタの性格は、「語り」手としての彼女にも反映されているはずだ。本論の目的は、彼女に如何に「騙り」手的要素が強いかを具体的に示し、実はその「語り」の矛盾もエスタが作者並びに読者を欺いた結果であることを論証することにある。