本研究では、1949年の建国から1978年の改革開放に至る約30年間における中国東北部都市の変化を多くの資料や論説から検討し、それらは「重厚長大」型の国営企業を集積して中国の重鉱・工業基地として発展してきたこと、それは消費都市から生産都市への改造という、社会主義計画経済期に基本戦略に基づくものであったこと、職住一体の「単位」社会からなる都市構造は、上意下達の指令に基づく「単位」の単なる寄せ集めに過ぎず、都市内地域社会(経済)の有機的な結びつきが欠如ないしきわめて弱いもの、すなわち「単位」並立型であったこと、それ故に現代都市の経済的特徴である機能的結合や空間的特徴である結節型構造は希薄であることを析出した。以上の考察を踏まえた上で、本研究は、鄧小平の南巡講話(1992年)と、その年の「経営制度転換条例」による投資決定権・資産処分権などの経営自主権が大幅拡大を契機として、東北部国有(国営)企業の改革が動き出したことを、長春市の国営企業の例から明らかにした。本研究では企業単位の解体によって都市内部で進行している社会・経済的変化への対応、すなわち、従来の「単位」社会に代わるべき新たな地域社会組織、都市内モビリティーの急増や経済活動の活発化に対応できる都市計画の策定などについて問題を提起した。