本稿は、広島大学文書館所蔵の「大牟田稔関係文書」を活用した歴史研究である。大牟田稔は、中国新聞の記者であり、様々な被爆者援護に関わった人物であった。沖縄県在住の被爆者の生活や、原爆小頭症患者の援護、後には平岡敬市長とともに平和行政にも携わった。結論としては、「行政の被爆者援護」から取り残された被爆者に寄り添い、政府・世論に働きかけることに大牟田の被爆者援護の本質があり、それは「被爆者」間の不公平を是正することを志向していた。またその過程では、新聞記者としての立場の内外で異なる活動をし、行政への転身により国外への眼差しが鍛えられることになったとした。