現代日本は、教育/福祉/災害対策など多くの面で課題を抱えている。それらの課題を克服し、持続可能な社会を構築する上で、民間公益団体への期待が高まっている。しかし、民間公益団体は政府の下請け機関化、担い手不足、経営基盤の弱さを批判されてもいる。そこで本研究では、日本における民間公益団体について、誰がどのようにそれを運営していたのか、意思決定と経営のプロセスに踏み込んだ実証研究を、「福山義倉」を事例としておこなった。分析時期は、近世後期から明治期、いわゆる近代社会成立期に重点を置いた。義倉のあった福山地域の農村社会や、義倉の担い手の家経営を分析した上で、近代法の下で義倉が財団法人化していく様子を明らかにし、その事業支出をできうる限り精緻に実証していった。さらに、「福山義倉」のみを取り上げて民間公益団体を論じることの限界を克服するため、日本の民間公益団体を総体として捉え、その担い手の性格を軸に類型化した。その結果、日本の歴史上、政府が「公益」を一義的に担うなかで、民間主体の「福山義倉」のような事例は希有であり、その意味で、「福山義倉」は、日本における民間公益団体の歴史的源流とも呼びうるものである、と結論した。